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2008年3 月14日 (金)

神宿る伏見稲荷と酒どころ伏見探訪【京都を歩く(第2回)】

 日いちにちと吹く風がやさしくなってきた弥生三月。京都ウォーキングの2回目は、京都の中で最も春の訪れが早いといわれる伏見。景勝地として愛され、伏見桃山城の城下町であり、大坂からの交通アクセスの要地だった地だ。

 その北部に位置し、平安中期にすでに「初午の稲荷詣でする男、女ゆきかふ……」と賑わいぶりが記された伏見稲荷大社と、「伏見の酒」を生んできた酒蔵が並ぶエリア。それに、龍馬ゆかりの寺田屋も見学したいーー。途中、京阪電車での移動も含めて、約4時間半の伏見ウォーキングに出発だ。

伏見稲荷神社

伏見稲荷大社は、2011年には1300年を迎えるという歴史ある神社で、稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本社である。
稲荷神は農業の神であるため、五穀豊穰・商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全等にご利益があるとされ、正月三が日には例年多くの参詣者が訪れる。

「お山」まるごと
庶民信仰のワンダーランド

 京都駅からJR奈良線で5分。稲荷駅を降りると、朱塗りの大鳥居に迎えられた。平日なのに、参拝の人たちで大賑わい。そう、伏見稲荷大社は、五穀豊穣・商売繁昌の神として知られ、全国に4万もある稲荷神社の総本社なのである。

千本鳥居

本殿から稲荷山への道には、映画『SAYURI』にも登場した有名な千本鳥居。
何故お稲荷さんに鳥居が多いかといえば、願い事が「通る」「通った」御礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が広がったからとか。

 『山城国風土記』によると、秦伊呂具(はたのいろぐ)という人が餅を的に矢を放ったところ、餅は白鳥となって稲荷山の山頂の3カ峰へ飛んでゆき、降りたところに稲が実った。そこに上中下の社を建てたのを起源に、五穀豊穣の神として崇められてきた中、江戸時代に流行した稲荷勧請が合体され、伏見稲荷大社となったのだそうだ。

「江戸時代までは社家、明治から終戦までは国の管理でした。鳥居がこれだけ増えたのは、戦後、宗教法人になってからですね」

 と、神主さん。各鳥居の裏側に、各地の奉納者の名前と住所がリアルに書かれていて、全国からの信仰が伺える。約70メートルの千本鳥居を抜ければ、奥の院があり、ここで引き返す人が多いが、そこはまだまだ標高233メートルの稲荷山の麓。「お山めぐり、約4キロ、約2時間」の案内がある。せっかく来たのだもの、全行程を歩こうではないか!

四ツ辻からの景色

四ツ辻からは京都市南部の街なみが展望できる。

伏見稲荷大社門前町

稲荷大社の門前町は稲荷信仰と共に繁栄してきた街である。伏見の町で京の都に一番近かったことから繁栄の歴史は始まり、伏見で一番歴史ある商店街とも言える。

 奥の院をスタートし、15分ほど登って行くと、三ツ辻を経て、四ツ辻に出る。ここで、急に視界が開け洛南一帯を見渡せた。壮快! 順路に従い、やはり鳥居が続く石段を、一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰をたどるコースを進むが、結構な「健脚コース」である。鳥の声をBGMに、大小の鳥居や古い石碑などを右に左に見ながらのウォーキングは、次にどんな光景に出会えるかなという期待に満ち満ちていて、楽しい。神々しくもある山中には、失踪人探しの「こだまの池」、神経痛治癒の「膝松さん」など庶民信仰も見られ、墓石のような形の多くの「お塚」ともども、「宗教のワンダーランドだな~」と感慨深い。

 2時間歩いて、お山の麓に戻ると、そこは門前町。雀や鳥を食べさせる店が多いのは、「農作業の天敵たちに、見せしめするため焼いて吊るした」という、元は五穀豊穣の神様ならではの謂れがあるそうだ。山歩きの疲れを、そんな門前町のお店で癒しましょうか。

伏見桃山城の遺構が残る
御香宮神社に「伏水」あり

御香宮神社

御香宮神社は、当初は「御諸(みもろ)神社」と称していたが、平安時代の貞観四年(862)の9月9日に境内から「香」の良い水が湧き出て、飲めばたちどころに病も治ったことから、当時の清和天皇より「御香宮」の名を賜ったという歴史のある神社である。

 さて、門前町を後に、京阪伏見稲荷駅へ。大阪方面行きの電車に乗って、5駅、12分の伏見桃山駅で降りる。ここから、伏見探訪の2幕目。酒どころ巡りのスタートだ。

「ごこんさんのお鳥居ですよ」

 と、地元の人に教えられる。ごこんさん?

「御香宮(ごこうのみや)神社のこと。ほら、あそこ」

 と、指さした先は立派な石垣と白壁。神社らしからぬ外壁をたどると、大寺院の山門のような表門。豊臣秀吉が築いた伏見城の大手門を移築したものだそう。

 神功(じんぐう)天皇を主祭神とし、戦勝を司る社として歴史を刻んできたこの神社には、秀吉が朝鮮出兵に際して戦勝祈願したという。伏見城築城の時に、この神社を城内に勧請した。それほど秀吉や伏見城と縁が深く、極彩色の拝殿と本殿が見事だった。本殿は秀吉の後に伏見城入りした徳川家康の命による建築、拝殿は紀州徳川家初代・徳川頼宣の寄進だそうだ。

御香宮神社の境内に湧き出る「御香水」

御香水は、名の由来となった清泉で「石井の御香水」として伏見の七名水の一つで、徳川頼宣、頼房、義直の各公は、この水を産湯として使われたといわれる。
明治以降、涸れていたのを昭和57年復元後、昭和60年1月、環境庁より京の名水の代表として『名水百選』に認定された。

 ところで、御香宮神社の境内には、ペットボトルやポリタンクを手にした地元の人たちが大勢出入りしている。本殿脇に「御香水」という清冽な水が湧いていたのだった。

「ここの水、柔らかくておいしいんや」

 と、初老の男性。御香水と同じ水脈の伏水(ふしみず・ふくすい)と呼ばれる伏見の地下水は、カリウム、カルシウムなどをバランス良く含んだ中硬水で、これを生かして造られているのが伏見の酒。灘(兵庫県神戸市)の酒が「男酒」と言われるのに対し、伏見は「女酒」。伏水が、やわらかくまろやかで、口当たりの良い酒をもたらすのだと、その男性はすらすら。そして、僕はこっちのほうでも伏水の恩恵に預かっていますよと、右手で一杯飲むポーズをして笑った。

「走り」の街道を通って
いざ、酒の香り漂うエリアへ

杉玉(すぎたま)

杉玉とは、スギの葉(穂先)を集めてボール状にしたもので、日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊し、新酒が出来たことを知らせる役割を果たす。
吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってくる。この色の変化が人々に、新酒の熟成の具合を物語る。

 御香宮神社から来た道を西に戻り、近鉄の高架を過ぎたところで、南へ。「京街道」の碑があり、江戸時代に大坂から伏見港に船で着いた物品を、京の中心部に運んだ道だと説明書きがある。これを読んでいると、背後からまたまた地元の女性に声をかけられた。

「旬の先取りを『走り』って言いますでしょ。昔、カツオやハモなど季節一番の魚を、錦(市場)までこの道を走って持って行かはったの」

 ほ~。ここに「走り」の語源があったとは。知らなかった。こんなふうに地元の人と次々袖触れ合えるから、てくてく歩きはやっぱり楽しい。かつての「走り」の街道には、京格子の古町家を使ったお店が点在していた。

 そこから南西方向に数分進むと、酒蔵が並ぶエリアだ。黒格子、虫籠窓(むしこまど)の2階建て商家、杉の板を高く張り巡らせた妻入り屋根の酒蔵……。全国的に名高い銘柄の蔵元から小さな蔵元まで、点在する蔵は約40。桃山時代から連綿と続く酒どころならではの光景が広がり、どこからともなく酒の香りが漂ってくる。キャラメルを舐めながら歩く我がウォーキング隊は、大の甘いもの好きだが、お酒も嫌いじゃない。ふむ。いい香り~。

月桂冠大倉記念館

月桂冠大倉記念館は、酒蔵が並ぶ濠川(ほりかわ)沿いの柳並木の町並みでひときわ目立つ白壁土蔵の酒蔵である。貴重な酒造用具類を保存し、伏見の酒造りと日本酒の歴史をわかりやすく紹介し、吟醸酒やプラムワインの試飲も楽しめる。

 立ち寄ったのは、明治時代に建てられた風格ある酒蔵を活用した月桂冠大倉記念館。延々続く杉板塀、犬矢来(いぬやらい)の外観に圧倒されつつ、玄関の格子戸をくぐると、館内には、酒造りの作業の時に歌われたという「酒造り唄」が流れている。

 月桂冠は、寛永14年(1637)、南山城・笠置から伏見に出てきた初代が、前身の「笠置屋」を興して以来、伏見の酒造業の先頭に立って歩んできたのだそうだ。そんな歴史が、使い込まれた巨大な酒樽や道具類、和紙に書かれた書類など館内の展示物から伝わってくるのだった。

ウォーキング隊がいただいた利き酒セット

ウォーキング隊がいただいた利き酒セット

 月桂冠大倉記念館の見学を終え、ロビーで、ここでしか味わえないというレトロな清酒や、輸出用ワインの利き酒を楽しんだ。ふむふむ。おいしい。そういえば、ちょうど今は「寒造り」の新酒のデビューの季節。同館に隣接する、築約90年の建物を改造した「伏見夢百衆」という店で、伏見の清酒18銘柄約80種が利き酒でき、新酒もそのアイテムに入っているとの情報を得て、そちらへも足を延ばす。

 ジャズがかかる伏見夢百衆の店内で、この日は松本酒造純米原種「しぼりたて」など3種を利き酒。う~ん、さすが新酒。馥郁たる香りと、口中を直撃する旨味に、ウォーキング隊一同、舌を巻く。ちなみに、この店では、3月22日(土)、さまざまな銘柄を利き酒できる「第2回伏見の清酒蔵出し新酒日本酒まつり」が開催されるとか。

宇治川派流の風景

宇治川派流は太閤秀吉が伏見城を築いた時に開削された運河で、
桜の満開時は酒蔵や柳の青も美しく見事な景色となり、休日には十石舟から風景を楽しむことが出来る。

酒蔵風景を川辺から眺め
龍馬逃亡劇の舞台・寺田屋へ

 さらに南へ進み、宇治川派流にかかる弁天橋を渡る。と、そこには、一幅の画のような景色が広がっていた。

 そもそもこの川は、秀吉が伏見城築城の時に建築資材を運搬するために造らせた運河で、明治初期まで「伏見港」として、大阪と京をむすぶ淀川舟運の拠点だった。数々の旅籠や店屋、遊郭まであった港町・伏見に思いを馳せ、立ち並ぶ酒蔵を背に柳が揺れる川辺の遊歩道を歩く。情緒たっぷり。優しく頬を撫でる川風が心地いい。4月になれば、ここから1.5キロ先の宇治川本流の岸、伏見港公園を往復する観光船、十石舟が運行されるという(詳しくは、伏見観光協会まで)。

寺田屋

坂本龍馬の定宿であった寺田屋は、「維新は寺田屋の一室から生まれたり」と言われる通り、明治維新のメインステージとなった場所として有名。
「寺田屋」と書かれた軒提灯を吊るす昔ながらの船宿風情で、龍馬が泊まったといわれる部屋も残されており、現在も宿泊できる。

 さて、最後は、川辺から北へすぐのところに立つ寺田屋へと向かう。ご存知、幕末の倒幕派たちの定宿。クーデターを企てる薩摩藩士・有馬新七らが斬殺された舞台で、そして伏見奉行配下に襲われそうになった坂本龍馬がのちの妻、お竜の機転であやうく難を逃れたところだ。

 龍馬の部屋だった「梅の間」や、駆け上がった階段、ピストルや刀の傷が残る柱などが残り、身震いする思いで見学した。

 酒蔵群と寺田屋は目と鼻の先。寺田屋で大事件が起きたその夜も、間近で酒造りは粛々と行われていたのだろうかと、幕末の伏見を俯瞰してみるのも一興だ。

 寺田屋から刺客に追われて龍馬が走り抜けたという「龍馬通り」、賑わう伏見大手筋商店街を通って伏見桃山駅に戻り、大満足で第2回の京都ウォーキングを終えたのだった。

2008年、『源氏物語』は記録により確認されるときから1000年を迎えました。
これにちなみ、次回は『源氏物語』の舞台となった宇治を歩きます。どうぞお楽しみに。

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