平安貴族が愛した『源氏物語』ゆかりの地を歩く - part1・宇治編 –【京都を歩く(第3回)】

宇治市源氏物語ミュージアム所蔵 『源氏絵鑑帖』 巻47総角より
京都南郊の宇治は、源氏物語最後の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。周辺に宇治十帖をしのぶ古跡が点在する宇治橋は、宇治十帖めぐりの拠点として人気のスポットになっている。
洛中〜洛東、伏見と京都を歩いてきたウォーキング隊は、今年の京都が「源氏物語1000年紀」で盛り上がっていることに気づいた。駅にポスター、観光案内所にパンフレット花盛りなのである。
ご存知、『源氏物語』は、平安時代中期に紫式部が書いたとされる日本最初の長編小説。主人公は、天皇の皇子として生まれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏。一口に言えば、プレイボーイである光源氏が数多の恋愛遍歴を繰り広げる、という内容だ。
王朝物語のみならず、日本文学史上の雄である源氏物語の文献初出が寛弘5年(1008)。だから、今年1000年。大いに注目を集めているのだ。
これにちなんで、2回にわたって源氏物語ゆかりの地を歩くことにした。今回は、最終章「宇治十帖」の舞台となった宇治。いきなり最終章というのも何だが、宇治はかつて都人が別荘地とした風光明媚な地で、源氏物語を彷彿する光景が最もくっきり残り、随所に石碑も立っている。源氏物語を紹介するミュージアムもある。
というわけで、約5キロ、拝観を含み約3時間半の宇治ウォーキングに出発。
宇治橋は、大化の改新の翌646年に初めて架けられたと伝えられ、奈良と京都をつなぐ奈良街道に位置する要衝の橋として重視されてきた。『万葉集』以来、宇治川の渡りを詠んだ多くの和歌が伝えられ、『古今和歌集』、『源氏物語』などの数々の古典作品に登場する。滋賀大津の瀬田川に架かる「瀬田の唐橋(せたのからはし)」と、淀川に架かっていた「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられる。
宇治川流れる優美な光景を眺め
平等院で虚実交々の世界に遊ぶ
JR京都駅からみやこ路快速奈良行きで17分。宇治駅に降りて、北東に5分ほど進み、最初に向かったのは宇治橋。「とにもかくにも、まずここからの景色を見るべし」と、地元の友人に強く言われていたからだが、なるほど〜。なだらかな山を背景に、とうとうと流れる宇治川と、鮮やかな朱色の橋……。そこには、まさに優美そのものの光景が広がっていた。
「宇治十帖」は、光源氏の息子・薫(かおる)と、孫にあたる匂宮(におうのみや)、彼らを取り巻く大君(おおいぎみ)、中君(なかのきみ)の美しい姉妹、そして姉妹の異母妹・浮舟(うきふね)らが織りなす、複雑な恋物語。始めは薫宮、匂宮の2人が大君、中君と恋に落ちるのだが、浮舟の出現で、2人とも浮舟を熱烈に愛してしまう。進退窮まった浮舟が宇治川に身を投げる……。
そんなストーリーを、宇治川の畔に広がる美しい風景に重ねて、しばし佇む。
宇治橋の南詰には、紫式部のモニュメントも発見! 紫式部は、一条天皇中宮上東門院彰子(藤原道長息女)に女房として仕えた女性。うむ、モニュメントはなかなかの美人だ。
平等院表参道は、JR宇治駅から徒歩10分、京阪宇治駅から宇治橋を渡ってすぐのところにあり、室町時代から続く宇治茶の老舗も並ぶ。宇治の特産品も充実した、和の香ただよう参道である。
10円硬貨でもおなじみの平等院鳳凰堂。平等院は、「末法思想」が信じ られていた平安後期、永承7年(1052)の創建。釈迦の入滅(一 般で言う「死去」)から2000年目に当たるこの年は、仏法がすたれて天災人災が続くという「末法」の元年に当たっていた。念仏を念じ、来世での幸福を祈る浄土教が流行。平等院の庭と建物は極楽浄土をあらわした「浄土庭園」で、鳳凰堂には阿弥陀如来(国宝)を安置している。
ユネスコ世界遺産に登録されている。
宇治茶の店や、土産物店などが軒を連ねる石畳の参道を平等院へ向かう。平等院は、光源氏のモデルのひとりといわれる、嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)が営んだ別荘だった地にある。
境内に入ると、緑深い中に、朝日を浴びた鳳凰堂とその手前の阿字池が目に飛び込んできた。両翼を伸ばす鳳凰の姿が池に映し出され、日差しに煌めく光景は、まさしく、「西方浄土」のイメージ。平等院は、仏法の教えがすたれる「末法」に入ったとされる永承7年(1052)、藤原頼通の創建。その翌年に鳳凰堂が建てられたのだった。
格子窓越しに国宝・阿弥陀如来坐像のお顔を望みつつ、池と建物、阿弥陀如来が一体となった幻想的な光景と、源氏物語の虚実交々の世界とのクロスオーバーを頭の中で楽しむ。境内のミュージアム・鳳翔館(ほうしょうかん)に行くと、阿弥陀如来を壁面から見守っていた雲中供養菩薩(うんちゅうくようぼさつ)26体があった。打楽器を叩いたり笛を吹いたり、さまざまな姿の菩薩たち。見ているうちに、菩薩たちが奏でる音楽が聞こえてくるようだった。
朝霧橋を渡って中国風の興聖寺、
恋心が刻まれた「さわらびの道」へ
中州の塔の島の一つ橘島に渡る朝霧橋。橋の上からの景色は山紫水明そのもので、右岸には藤原氏全盛期の別荘であった平等院が建ち、左岸には仏徳山の麓の興聖寺や宇治神社・宇治上神社など古刹がひしめいている。
宇治川右岸の朝霧橋のたもとには、「宇治十帖」のヒロイン浮舟(うきふね)と匂宮(におうのみや)が小舟で宇治川に漕ぎ出す情景をモチーフにしたモニュメントもある。
平等院をあとに、宇治川に沿う桜並木の小道を進み、朱色の欄干が雅な朝霧橋を通って宇治川を渡ったのだが、そこは、平安貴族が愛した景色のまっただ中。ため息が出るほど美しく、頬にあたる川風も清々しい。
川向こうに着いたら右手にとり、興聖寺に向かう。ゆるやかに坂を上がるこの参道がまた美しい。その名も「琴坂」。両サイドにサクラやモミジの老木が生い茂る中、かつて広大だった伽藍の跡を示す石積みが点々と残り、脇を流れるせせらぎが聞こえる。この水音が、琴の音色にたとえられ、情緒豊かな名で呼ばれているのだ。
興聖寺は、中国から帰国した曹洞宗の開祖道元禅師が、天福元年(1233)、伏見・深草の極楽寺跡(現宝塔寺)に創建した興聖宝林禅寺が始まり。本堂、大書院、方丈、禅堂などが朝日山を背景に建ち、すばらしい眺望の中に禅寺らしい厳粛な気配が漂っている。
およそ300メートルの琴坂を登りきると中国風の楼門があり、その中には緑に包まれて禅寺らしい質素な堂宇が並んでいる。あと1ヶ月もすれば、緑の若葉に山吹が黄色いアクセントを添え、簡素な中にも華やかさが漂うという。
宇治川沿いに朝霧橋のたもとまで戻り、次は、宇治神社を経て宇治上神社へと歩を進めたのだが、道中、
宇治橋東岸から続くさわらびの道。道沿いに源氏物語の宇治十帖の「早蕨(さわらび)」の古跡があるところから、「さわらびの道」と呼ばれるようになった。
沿道にある宇治上神社は、現存する日本最古の神社建築とされる。本殿をはじめ多数の国宝を備え、ユネスコ世界遺産に登録されている。
「この辺りに、宇治十帖の主人公たちが住んでいたって話だよ」
「まじ〜?」
なんて会話が、前を歩くカップルから漏れ聞こえてきた。手元の虎の巻を読もう……。
「宇治十帖」に登場する貴族たちの住まいは、宇治川のせせらぎが聞こえ、宇治橋が見える山麓で、宇治山荘(後の平等院)の対岸の設定とか。とすると、この条件を満たすのは、宇治上神社の立つ辺りとの見方ができる。
さて、宇治上神社の拝殿は鎌倉時代の建築だが、平安時代の住宅様式を取り入れた寝殿造り風。一方、本殿は、一間社流れ造りの小さな3棟の内殿が一つの覆い屋でつながれた珍しい様式で、平安時代の建築。現存する日本最古の社殿建築だそうである。宇治上神社イコール、光源氏と目される源融の住まいと考えるのは尚早だろうが、何らか相関関係があるのでは、と思いを馳せるのも楽しい。
総角(あげまき)は、『源氏物語』五十四帖の巻の一つ。第47帖。
薫は、大君(おおいきみ)への気持ちを几帳のほころびを通して見えた総角結びに託して次のように詠んでいる。「あげまきに 長き契りをむすびこめ おなじところに よりもあはなむ」(あなたが縒り結んでいる総角結びのように、あなたと私が長く寄り添えるようになりたいものだ)
さわらびの道沿いには、与謝野晶子の歌碑も。1924(大正13)年に宇治を訪れた晶子は、源氏物語に魅かれ紫式部を師と仰ぐようになり、やがて、『源氏物語』五十四帖を54首の詠歌で再構成した『源氏物語礼讃』を発表した。歌碑には宇治十帖の「橋姫」から「夢浮橋」までの10首が刻まれている。
そういえば、宇治上神社の横の小道が「さわらびの道」。宇治十帖の一コマ、匂宮に引き取られた中君の心のうちに迫る項「早蕨」にちなんだ名前の道だ。この道沿いに、「早蕨」と「総角(あげまき)」の石碑のほか、紫式部を尊崇して大正13年(1924)にここを訪れた与謝野晶子の直筆の歌碑も立っている。
〈こころをば 火の思ひもて焼かましと 願ひき身をば 煙にぞする(総角)〉
〈さわらびの 歌を法師す君に似ず よき言葉をば 知らぬめでたさ(早蕨)〉
う〜ん。晶子の歌から、愛しい人を熱く思う気持ちが1000年の時を越えて伝わって来る……とドキドキするウォーキング隊である。
源氏物語ミュージアムから
極楽浄土を想像させる三室戸寺へ
さわらびの道を5分ほど進んだところに、宇治市源氏物語ミュージアムがあった。光源氏が都で華やかに活躍した世界を表現した「春の部屋」、宇治十帖の世界をイメージした「秋の部屋」を見学できるほか、篠田正浩監督の映画「浮舟」も上映されている。ここで、源氏物語のストーリーをおさらいするもよし、物語を彷彿する雅な装束の展示に、ほっとため息をつくもよし、である。
花の寺としても有名な三室戸寺。の鐘楼脇に「浮舟古跡」と刻まれた古碑がある。これは250年前の寛保年間に「浮舟古跡社」を石碑に改めたもの。その折に、古跡社のご本尊「浮舟観音」は三室戸寺に移され、浮舟念持仏として今に伝えられている。
最後に足を延ばしたのは、宇治市源氏物語ミュージアムから北東へ20分ほどの地にある三室戸寺(みむろとじ)。山門をくぐってから、右手一面にツツジとアジサイが植わる広場が広がる道を進み、急な石段を登って本堂へ。本堂の前一面にも、夏にピンクや白の花を咲かせるハスがわんさか植わった、別名「花の寺」である。
「観音様がおわす極楽浄土のように、境内を花で荘厳した(飾った)のです」
と、ご住職。ハスの花咲く季節まで遠い今は株のみが寂しく残る状態だが、ウォーキング隊は、その枯れた光景に、生ある者どもの芯の強さを感じたのであった。
境内に、「浮舟」の石碑がひっそりと立っていた。浮舟は、薫宮と匂宮の2人の美男子に愛され過ぎて入水した、宇治十帖の悲劇のヒロインだ。観光客の多い平等院辺りと異なり、こちらは訪れる人もまばらで、実に静か。宇治十帖は華やかに見えがちな恋物語だが、その裏には登場人物たちの強い意思の力が働いている。その力は案外、舞台から少し離れたこんな静かな地で培われたのかも……。そんな想像を巡らせ、今回の宇治ウォーキングに終止符を打った。
次回は、『源氏物語』ゆかりの地を歩く - part2・洛中編 -です。お楽しみに。
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